とあるお坊さんの日常

ヒヨッコお坊さんの日常を書いていきます

お彼岸

こんばんは

久しぶりに書いて見ました

なんだかんだ一年近く放置してしまったのですね・・・

何年坊主だといわれたら、坊主=年齢でございます

ええ、ふにょふにょです

 

さてさて

時間が空いたとかいうツッコミ

待ってたぜというお声

いろいろあるとおもわれますが

自分のペースでまた書いてこうかな

 

さぁ、今日はお彼岸でございました

彼岸(ひがん)とはあちら側とかそういった意味があります

対して、こちら側を此岸(しがん)といいますね

 

人間は死んだら彼岸へ行くといわれております

 

さてさて、ここ数日のことであったことをば

・彼岸の中日が終わって東京都内へ行くこと

・私が知り合った方が骨の末期癌だったこと

・知り合った方にお会いして遊んだこと

などなど

まぁ、悲しいことからうれしいことまでいろいろあったのです

 

うーん、なんというか

世の中は本当に無常だなぁと感じるところですね

 

 

そんなこんなで

東京へ遊びに行っていたわけですが、

体調を崩しました

ええ、これも諸行無常です

お蔭でぶっ倒れてない記録がストップしちゃいました

かれこれ7年ほど何もなかったので

割と焦っております笑

久しぶりに友人に会って楽しくなってお酒を飲んでしまったところから

よくなかったですね

普段起きない時間まで、普段あまり飲まないお酒を飲んだので

いやぁ、あかんあかん

すっかり尾を引いてしまいました

 

まぁ、こんなこともあるよね

 

 

人間誰しも間違いの失敗の一つや二つを犯してきています

問題なのはそこで、省みるかどうかです

「いっけねぇ!まぁ、次もやっちゃうかもだけど」

とかだと流石に、警策でフルスイングですよ

誰でもそれは阿修羅モードです

とはいえ

「あぁ、、やっちまったぁ・・・あああぁああぁあああぁあああ」

とか

グダグダグダグダとカオナシのように何かねだってても始まらないわけで

あ、カオナシは差し上げてるのか

 

そうなると

「やっちまった。。。。次は気をつけなきゃ!」

がベストなのでしょうね

前向けってことでしょう

 

過去の色んな未練も、過去の色んな後悔も

全部肥やしにして

「即今」を生きていかねばならないのだと

 

仏教の偈文(げもん)に

懺悔文(さんげもん)という言葉があります

 

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう).

皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち).

従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう).

一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

 

自分が昔からしてきた悪行は

全て、計り知れない貪りと怒りと愚かさから来ている

身体と言葉と心により生まれたこれらを

私は今全て、懺悔します

 

という意味ですが

 

お経を読むとき、お坊さんが読むんですこれ。

偉い人曰く

心から自分の行いを見つめていくことの重要さを仏教は説いてるらしいです

 

ってことは

まぁ、お坊さんも日々

正解と間違いを行ったり来たりしてるんだろうなってことを思いました

そして、その通りだと思いました

でも、こういうことを知ってると動けなくなるよなぁ~とか

思っちゃう自分もいたりするんですよね

不思議な世界だわん

 

・・・・とりあえず投稿遅くなったのはこれで許してもらえるかしらん←

住持の職

どうも、ふにょふにょです

さて、今回のお話でございますが

先日、お勤め先のお寺で「晋山式」というものがありました

「しんさんしき」と読みます

新しい住職さんへ代替わりをしたことを、檀家さんの皆さんへお伝えする式です

住職は「住持の職」の略です

住持とはそのお寺へ住んで維持すること

それを職としてるということですね

 

これは半世紀に一回のペースくらいでしかやらない行事です

そりゃ、コロコロ住職変わってたら大変ですからね、ええ

 

私は恐れ多くも、法要の当日は写真撮影係でございました!

色んな写真が取れましたね!

結構緊張しました

なぜかというと

「法要ある程度分かってると思うから」

と言われたからです

内心思ったことは

 

やべぇ、一眼持ってるとか言わなきゃよかった

( ^ω^)・・・

 

実はこの式では写真撮影を業者さんへお願いしたり

檀家さんに取ってもらうことが結構多いんですが

どこまで近づくべきか、どの位置なら法要の邪魔にならないか

考えて動く必要があるからです

それなら、少しでもわかる人間がやるべきだと判断されたからですね

 

まして、法要とは例えるなら生き物のそれです

流れがどのように変わるかは動く人次第・・・

誰か一人が、出すものの順番、使う言葉、動きを間違えただけで

一転して大惨事!!!!

のようなことになりかねない場なのです・・・・

まして、仏様の前でそんなことはできません

写真とってて、邪魔して法要ぶち壊しました・・・

フレンドリーファイアは避けねばならないのです

ちなみに今回、法要の練習中にこの言葉使ったらプチ流行しました

住職もお気に入りのご様子←

 

さて、この式でやることは大雑把に言うと

おっす!

おら住職!

いっちょ禅問答やってみっか!

的な感じです

 

いいですか、法要は仏様の前ですから

ふざけたりしちゃダメです

ビルス様飛んできますからね

 

初めに本堂へ行き、新住職が須弥壇へ上ります

「しゅみだん」といいます

なんでしょうね・・・わかりやすく言うと

 

本堂のミニチュアが仏壇だと思ってください

その仏壇の中の仏さんがいるあの高い段です(笑)

イメージとしては

和風シルバニアファミリーですよ

その中の釈迦場所です

仏壇ってなんなの?って思ったことがあるんですが要するに

ブドウの森のお家か

釈迦のお家か

それだけの違いだとわかりました

 

 

 その須弥壇に新住職は登壇して、問答をします

これはお釈迦様が須弥山というところで

弟子たちと問答したという故事になぞらえて行っております

 

質問したい方たちは新住職に向かって

ゆっくりと一歩ずつ進んで言葉をかけ、

答えをもらってから

最後には警策坐禅で使うあの長い棒)で肩を軽くたたいていただきます

 これは突然飛び入りで質問する人がいたりするので

結構、問いかけに対して機転や考えを持ってないと固まることがあるのです

たまに、大勢の檀家さんの前で

「奥さんに愛してると言ってください!」とかありますから

まぁ、固まりますよね(笑)

 

何度も言いますが、法要はふざけてはいけません

仏様の前ですしね!

これは真剣な質問ですからセーフ!

むしろかっこいい

 

 

 

 

そんな中、いい写真が取れました

ええ、これは素晴らしい

真剣そのものです

 

 

 

 

 

 

 

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うーん、素晴らしい

まさに真剣を全身で表現してくれている!

 

小麦粉焼砂糖泡立菓子っ!!!!

(友人の言葉を借りました)

檀家さん、お坊さん、住職の皆が度肝を抜かれました笑

 

これは斜め上でしたね!

新住職誕生ということで、バースデーケーキを・・・・とのことでした

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ちゃんとおいしくいただきました!

 

 

なんでしょうね、このガチガチな感じを

一気に和らげた感じがとてもよかったです

 

檀家さんにもとても印象が残る式であったのではと思います

この時の皆さんのお顔をとっていましたが、やっぱりいい顔してました

肖像権やらでその辺は割愛ですが

 

 

こういう形があってもいいんじゃないかと、

改めて感じた式でしたね

 

 

 

 

 

今日の一字

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決まりの中では決まったことしか生まれない

わりと神経質

こんばんわ、ふにょふにょです

今日はお坊さんの神経質さについて説明しましょう

 

どちらかというと目敏さですかね・・・

これはおそらく、修行中に口酸っぱく(というか口うるさく)言われてきたからでしょう

基本、会社じゃないですけど決まり通りに動かないと怒られます

「カス」はありがたいお褒めの言葉なのです(嘘です)

こんなこともできねえのか「カス」

は最早テンプレである

でも、大体そういう古参(先輩の総省)も総じて「カス」です

もれなくゴミがついて「ゴミカス」ですね、ええ

 

人間って不思議なもんで、勘違いできてしまうんです

しないようにとか思っていても行動してしまうもののようです

すこし上の立場になって態度がガラッと変わる人は注意すべきだと思います

生物の根源的なカーストはどの世界にもありますから。。。

 

すみません、話がそれました

で、まぁ文字通りカスカス言われて、ボロボロになったカス

ボロカスになったところで、やっとこさ身につくんです

そう、掃除の仕方

・・・・・(。´・ω・)?

 

読者の方は何言ってんだって、こんな顔してそうですね

 

本堂であれば、香炉や燭台の正しい向きと位置や

法要で使う必要なもの

時間ごとに適切なものがお供えされているか

埃やゴミがないかどうか

どれか一つでもできないとやり直しなのです

 

埃落ちてるだけでとか、ほぼ無理なんですけどね

燭台2~3ミリ左にずれてるとかでもダメです

 

ミリ単位かよ!

少しずらしては全部やり直し、少しずらしてはまた全部やり直し

 

駐車場で駐車しても何度も切り替えしを行う作業に等しい

いいじゃん、枠内で多少左右差あっても・・・( ^ω^)・・・

でも、寝れない食えないでそんなことするもんだから

自然と気にし始めるんですよね・・・もはや病気というより洗脳に近いかも・・・・

 

お宅にお邪魔して香炉の向きが気になったり、

灰の中に線香の燃えカスが残ってたり

お膳の向き逆だったり

しれーっと直すんですが、それってどうなんだろうとふと疑問に思ったのです

 

何度も言うようですが仏事って「こうしなければならない」になるとやっぱガッチガチになる、、

お供えでこれが望ましいっていうものであれば、それ以外ダメってことになるわけで・・・

どうします?

金の延べ棒でなければならないとかになったら

仏さんが最早、死神にしか見えませんよ

誰が供養するかバカタレってなりそうです

 

なんでくどいですが「できる範囲で」ってのがいいのかなって思います

その辺のバランス感覚がないと物事続きませんし

毎朝仏壇にお膳上げるのも疲れません?

 

修行中とか私は疲れましたよ?

法要の度に仏さんのお膳を変えなきゃいけないんですから

お前一日に何回飯食う気だよ、この野郎って思ってましたし

心に余裕がないときは、難しいもんです正直

 

ないがしろにしなければいいと思うんです

目敏くなりすぎるのはよくないですよ、ほんと

見て見ぬふりするもの疲れるんですけどね

鈍感になりたいですよ、坊主は

 

今日の一字

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なんでもそうだけど、柔軟性は必要ですね

葬儀

こんにちは、ふにょふにょです

久しぶりの投稿になりますね

最近気持ちに余裕があったりなかったり、波がありました

ええ、言い訳です←

 

さて、今回はお葬儀のお話

小さいころ、師匠がいないとき

母親にどこ行ってるのか聞いて

葬式って言ってるのを聞いて

そーしきって何だろうって思ったことがあるんですが、

ええ、要は亡くなった人を弔うことですよね

近年では葬式が簡略化されたり、人によってはしなくてもいいって方がいらっしゃいますね

 

まぁ私も一応お坊さんなので、いろいろと聞かれることがありますが

良く葬式関係の質問で

やらなきゃいけないもの?

って聞かれることがあります

ぶっちゃけ

やりたくないならやらなくていい

あ~言っちゃった言っちゃった

 

で・す・が!

葬式は「亡くなった人を弔う」という式でございます

葬式は故人の人柄が表れていると思うのです

もし、その人が多くの方に支えられ、また支えて生きてきたというならば、

その方々へ訃報をお伝えするのは

おかげさまでここまで生きることができましたという

感謝の意味もこめられることがあるし

それによって人が集まり故人について偲ぶことができる機会でもあります

「亡くなった」ということを自身だけでなく、多くの関係者にも自覚させる意味で考えれば、私個人の意見ではあるけれども

親兄弟が亡くなった場合はやるつもりです

 

仏事は「やらなきゃいけない」にすると全部しんどい思いがつきまといます

ですので、「できる範囲で」という意識で進める方がいいと思うのです

実際、葬儀をするにもお坊さんや葬祭場などお金がかかることですから

 

あとよく言われるのは地獄の沙汰も金次第なんですか?

お金がお金がといいますが、「式」ですし用意するものとかをすべてご自身でやっていただけるなら、必要最低限でそんなにかからないと思います。

 

時間だけじゃないでしょうか。

しかし、遺体を置いておく場所、葬儀ができる人、準備の仕方を知っている人

などなど、専門分野の話になりますからかかるものはかかります

自分で棺桶作ったり、花作ったり、お供え物作ったりできるんであれば頼むより安くはなると思います

できるんであれば・・・

 

あとよく勘違いされるんですが、葬儀代やらもろもろすべてお坊さんに入るんですか?って話ですが、

それやったらお寺がつぶれます

お坊さんがもらえるのはそのうち何割とかの話かと

戒名代は戒名代でお寺のお金です

葬儀代は葬儀代でお寺のお金です

お坊さんにお気持ちで渡されたらいただきますが・・・

ほぼほぼお寺に行きます

そのうちの五分位もらえればいいほうですかね・・・

 

住職とは

「住持の職」ということで

住んで管理してくださいっていう役職なのです

管理優先なのです

ただ、そこで生活は保障するという前提で

お金を頂いてるってことです

 

そりゃ全部手元に来るならうれしいですよ

あるに越したことはないですから

でも、お坊さんがやってるのは「商売」じゃないです

その金額になるにはその金額になる理由があるわけです

それでも不安な方もいるのであれば、どういうお金の使われ方をしているか

住職さん本人に見せてもらうのがいいでしょうし

そこから、そのお寺に頼むか頼まないかを決めてもいいと思うんです

歴史を振り返っても、お坊さんの中には正しい使い方をしない人もいるわけですから

「商売」でやってるやってないの判断基準はわかりませんが、

私は少なくともそういう意識でやってはいないです

なので、檀家さんからその単語が出たその都度お伝えはしてます

 

子供のころよく言われたのが

いいよね、「楽で」

正直思ったのは

人が亡くならねえと生きてけねえんだぞ

これは永遠の命題ですね

やってみろと言いたい

そういう人には「じゃ、代わりに葬式してきて?楽なんでしょ?」

って言いたいですね

絶対できないですから

 

あと、プレッシャーもストレスも溜まる仕事ですよこれ

人によっては言いたいこと言い放題ですから

中にはそれで心が参ってしまうお坊さんもいるので大変です

 

え?私?

そういうのは中学生くらいで卒業したかな

嘘です、すいません

今もプレッシャーと戦い続けております

ゆえにひよっこなのです

人生日々精進です・・・・

 

 

今回は葬儀関連のお話でした~

 

今日の一字

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 偲ぶ、思う、想う

心があれば自然としてしまうこと

 

バグ’sライフ

どうも、ふにょふにょです

最近どうも気持ちが上がりません

こんな時は何をすればいいのだろうか、そう考えております

 

さていきなり本題

 

人付き合いしんどいです

 

いやいやお坊さんが何言ってんのとかいう人いそうですけど、

しんどいもんはしんどいんじゃボケナスが~

 

最近、趣味の集まりで親睦会があったんですが

年齢も近い人たちで10人くらいかな

いや、まじでしんどいっす

自分の状態でいれなかった

仕事モードみたいな感じ

 

一つ目は素を見せるのがなんか怖い

分かんないですけど怖かった

二つ目は自分だけ出身が異なるので引け目を感じた

相手のことに気を配る余裕がなかった

三つ目は話ができない

これが何よりしんどい

なんか輪に入ってる気がしませんでした

話ふられてもなんか言わなきゃって焦ってしゃべれませんでした

 

やべえなぁこれ

 

 

お坊さんあるあるかもですけど

一番言われてめんどくさいと思うのが

「お坊さんなのに」

面白い空気のときの「お坊さんなのに」はいいんですけどね・・・

これ、何かしゃべろうとする度頭の中で堂々巡りするんです

そうすると当たり障りないことしか言えなくなってしまっています

 

親睦会のはまさにそれでした

好きな事の話をしてても、なんか引かれてる気がして話したくなくなってしまって

泣きてえっすわ(´;ω;`)ウッ…

 

なんか一緒に行動したり話して楽なのは

多くても4人だと思いました

大人数で集まると駄目っぽいです

 

二次会とか殆ど喋ってないし

正直言った意味・・・・みたいに感じてる自分

周りは知らない人だし、どんな人なのかを知りたかったけど

騒いでるだけで話せずでつまらなかった

 

実益のない飲み会は坐禅と同じくらい苦しかったです

いや、まだ坐禅の方が楽ですね

 

お坊さんもコミュニケーション取れないときはバグりますってお話でした

 

 

今日の一字

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いや、苦しそうな字ですほんとに・・・

晴れた日は掃除がしたくなる

こんにちは、こんばんは

ふにょふにょです

 

さて、今日は何を話しましょうか

 

あ、掃除にまつわるお話をしましょう

 

さてさて、お坊さんといえば

頭にタオル巻いて

雑巾がけや

箒で掃く

草むしり

といったイメージなんですが、皆さんどうでしょうかね?

 

なんで掃除ばかりしてるのって修行中に聞かれたことがありますが、

その理由は単純です

敷地が広すぎて手が届かないため

やらないと荒れるからです

といっても、この広すぎてもどの程度か・・・・。

大分この辺で認識の差があるんですよね。

 

これはおそらくお寺生まれ故の感覚の差だと思います

自分の生家のお寺は、お寺さんの中では小さい規模だと思います

それでも墓地とお建物のスペースをざっと考えると

400mトラックにすっぽり入るくらいはあります(多分・・・

 

私は友達の家に行くという経験が、小さいころありませんでした

まず、母親が行くなと言っていた為

これは、家庭の事情+自分がチョロチョロしていたからだと思われます

(家庭の事情に関してはおいおいブログでも書きますが、めんどくさいですので

気が向いたらにします)

なので、記憶で遊びに行ったのは小学校に上がってからだと思われます

家から結構離れた場所にあった保育所通いで、近くに住んでいたであろう子供とは友達にすらなっておりませんでした(少し寂しかった)

で、当時いざ遊びに行って思ったこと

 

玄関狭い(おい

廊下短い(おい

部屋が少ない(おい

庭がない(おい

 

子供ながら比較をしておりました

これ、友達の親の前でいったら勘違いされたろうなぁ

土地の概念も家を建てることの概念も知らない為、このように思ったことがありました

民宿とかやってる友人の家は例外でしたが・・・

 

なので、掃除するときに思うのです

広いととっても大変!

時間と労力がかかります!

 

修行中はディズニーランドと同じくらいの広さの敷地にいましたので、

掃除しないとあっという間に汚れます

毎日やってても人の往来が激しいため、すぐ廊下が汚れます

木がたくさん植えられてて落ち葉が大量です

草も気が付くと大量に生えております

あと、特定の人を呼びに行く時、どこいるかわからんから探すの大変・・・・

外掃除だけで2時間以上かかった・・・・40,50人でやってなので

一人だったら何もできないですね・・・

 

 

一人暮らしをするようになってから思うんですが、

トイレ行くまですぐだし、

風呂行くのもすぐだし、

掃除機かけて拭き掃除とか、水回り掃除しても1時間かからない!

ええやん!省スペース!

洗濯物畳んでしまうのもすぐ!

狭すぎても大変ですけど

広すぎるのもよくないよなぁ・・・・。

何事もバランスだなぁ~と感じるこの頃です

 

とある禅僧の言葉に

「一日作さざれば、一日食らわず」という言葉があります

これは、中国唐代の禅僧

百丈懐海禅師が修行中の雲水に言った言葉です

 

彼は歳を結構とっていたにもかかわらず、

作務(お坊さんの日々のお勤め)をしないものは、

ご飯を食べるに値しないという方です

 

なので、自らも農耕の作務を行っていました

しかし年配だからと若い雲水が、作務の道具を隠しました

自分の道具がないからといって、その日は食事をとらず

道具が出でくるまで食べない意思表示をしたそうな

 

だいたい年配になると動かないんだけどなぁ、、、、

 

凄いですね

栄養失調になると困るから

ちゃんと、道具は返してもらったそうですよ

ちなみに唐代になると僧団(修行するお坊さんたち)は自給自足を始めます

布施やらなんやらだけに頼ることはあまりにもリスクが大きかったからです

お坊さんも時代に合わせて生きてるんですね

 

 

あ、年配だから動かないっていうのは一例です

人間ですからそういう人もいます

動いちゃう人もいます

でも、動いちゃう人をみた中間層の方が

動かすなと言うので、慌てて下が動きます

いいじゃん、誰がやっても・・・

気づいたらやれば・・・・

って修行中ずっと思ってました

一番いいのは中間層が下と一緒にやるのが平和だと思いました

じゃなきゃ、目くじら立てあうだけで面倒なので

その日によって気分も変わるので(笑)

 

毎日掃除ばっかりしてきたので

色々目についてしまうこともあります

帰ってきて友人の部屋へ行ったとき換気扇の淵を

無意識に撫でてしまった自分がいました

本人の前で( ^ω^)・・・

撫でてから、うわやっちまったっと思いました

とんでもなく失礼です

 

やりすぎるとよくないなって思っちゃいました

 

今日の一字

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肩の力を抜くことも必要ですね

・・・でもこの字は正直まだうまく書けるな・・・

 

そのうち字のリクエストなんかも受けてみたいものです

練習もかねてなので、完成度は保証できませんが。。。。

便利って不便

こんにちは、こんばんは

ふにょふにょです

二日ぶりの投稿になりますね

危うく三日坊主になる坊主になるところでした

 

さて、今日は修行から帰ってきて思ったことについて書こうかと思います

まずですね

 

食べ物が美味しい

え?何言ってんのっていう方いますね

許さんぞ、いっぺん修行してこい

朝ご飯はおかゆ一杯、

昼夜は一汁二菜(おかずといっても小皿二つにちんまり)

しかも、出汁が昆布か椎茸だけ

数人分で作るなら手間がかけられるものを、200人以上を一気に作るから

味付けはとっても雑になりがち(たまに当たりがくる)

修行の出だしはひたすら、ステーキやらハンバーグやら魚が食べたくて仕方なくなる

後半からは、もはや甘ければいいみたいになる

最終的には腹が膨れればいいになる

唇はストレスとビタミン不足で常に割れていて、足の裏も割れて治らない

帰ってきて食べる

マックのハンバーガ

ドトールミラノサンドB

がぶ飲みする1.5Lのコーラ

これらの破壊力よ・・・・

 

すみません、ジャンクなものばっかりでした

でもでも、おいしい食べ物屋さんはそこかしこに溢れています

なにより、定食屋さんとか行くとバランスを考えながらメニューを選べる事!

選べる!わかります?無条件でおかゆじゃないこの嬉しさ!

選択肢があることがとっても嬉しいのです

楽しいのです

これはというものに出会えた時は、ただただ美味いって言ってます

よっぽど適当な所でない限りは大丈夫です

あ、でもまずい食べ物にもちゃんと当たってますよ

僕らがまずいって言うことは相当やばいですよ

食べきれず残すのを外食すると結構みるんですけど、

作ったわけではないですが、どことなく寂しいです

むしろクレ(*´Д`)

食べ物は雑になりましたがこんな感じ

 

二つ目は

寝れること

極限状態で寝れないと人間は奇行に走ります

寝ながらその辺を徘徊していたり

寝ているのに急に大声で

はぁあああああああい!!!!!!

とか叫びだしたり

最短睡眠時間が三か月ほど1時間のときがありましたが

頭がバグりました

箒で掃除していて一度目をつぶって開けたら目の前にドアがあったりします

その間に寝ながら掃いているんです・・・・

体内時計と現実の時間にずれが生じるこの現象・・・・

我々はワープと呼んでいました

寝れないだけで、どうでもいいことでキレます

誰かに何か質問されただけでキレます

頭の中が何かに縛られ、思考が短絡的にならないので

ほんと、寝れるの最高です

 

 

最後は自分の時間があることです

周りに人が常にいるので、気が抜けません

気を抜いてるつもりでも、ダメです

どこかで、常に誰かに見られている感覚がしました

怖いですよ

実際誰も見てないんですけどね

やはり狭い組織の枠組みになると、

やる側やられる側って図式が出来上がります

大体はドングリの背比べでレベルが低いとこでグダグダやってるだけなんですけど。。

本当にできる人は何も責めないし、スッと教えてくれるもんでした

誰かに見はられてる感覚になると、

常に劣等感というやつが後ろについて回ってくるので厄介でした

・・・軽い鬱みたいなものだったかもですね

自分のペースが常に維持できるんだから、

うひょー俗世最高(^O^)/

まぁ、中にはプライベートに干渉する人々がいますが

そういう方の発言を真に受けると大体、取り越し苦労だってのは

修行中に学びました

本当に信頼できる人の話でない限りは、受け流すがよいのかと思うこの頃です

 

タイトルで便利は不便って書きましたけど

情報が共有しやすくなった昨今、

便利ですが、誰かしらからのアクションが必ず来ることが多くなった気がします

SNSやらなんやらも変に気を使うこともありますし

自分の気持ちをアウトプットするとどこかで、それをつつく人がいる

それを真に受けて傷つく人がいる

なんかなぁって思う

まぁ、不倫やら何やら悪いこと自慢みたいのとかは問答無用でしばk(ry

十人十色ですし他人は他人だからで済めばいいのになぁ~とか思いました(雑

どうせならいいサイクル作ってほしい

 

 

あー、コーラの話してたら飲みたくなってしまいました

すぐそこにコンビニが・・・しかし出向くのが面倒・・・・

そう、これも便利ゆえの不便。。。。

閉店してれば次の日と切り替えできるのに・・・。

とか、このご時世に何を時代錯誤なこと言ってるんでしょうこの坊主は

でも、思いません?

区切りの付け方が下手くそになってる気がするんですよ

「いつでも大丈夫」

ってなると人間適度ではなく適当になるよなぁ~って

その場その時の瞬間はそこにしかないって事をもっと自覚してほしいな~

 

今、今というに今は過ぎ去れり

命は光陰に移されてしばらくもとどめ難しです

 

便利に頼りすぎるなとは言いません

なんでもそうですが、使い方の問題ってことでしょうね、きっと

 

 

 

今日の一字

 

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便利・・・か

なんだかんだ捨てがたいよね